PHOTO by HIROYUKI HOUCHI


1、Two Great Masters

2、Looking Back History


3、Strong Bond

4、Forbidden Fruit

5、Miraculous Reunion

6、五条楽園歌舞練場

7、Beyond words

8、一生にあらず二生三生なり


1、Two Great Masters


 みんなが望んでいた晴天には恵まれはしなかったが、流れる雲の合間から三日月ならぬ三日陽が顔をのぞかせている。46年振りの日本での皆既日食。その日にサーフィン・フォトグラファーの巨匠、Dick Hooleさんが来日した。ドキュメンタリー映画“ASIAN PARADISE”の日本での25年振りの上映会のためだ。
 Dickさんは、この映画の撮影監督だ。サーフィン・フォトグラファーのパイオニアである。石井さんと共に、70年代、80年代にサーフィン・ジャーナリズムを築き上げ、朋友Jack McCoy氏とコンビを組み“HOOLE&MACCOY”として、大活躍した。以来二人はそんなに会うことはなくとも強い絆で結ばれている。
 1986年、ハレー彗星が地球に大接近した時、石井さんはオーストラリアのDickさんの家で一緒に見たらしい。エディターとフォトグラファーの二人の巨匠が相まみえる時、天空ではビッグイベントが起こるのだろうか。
 7月22日、Dickさんを成田まで迎えに行っていた石井さんたちが、思ったより早く東浪見のGREEN ROOF SURF ASHRAMに帰ってきた。一体どんな人なんだろう?ちゃんと話せるだろうか?伝説のサーフィン・フォトグラファーが今、ここにやってくる。ここ数日間考えるだけで緊張してドキドキしていた。
 だが、車から降りたDickさんと最初の挨拶をした瞬間、そんなものはすべて吹っ飛んでしまった。ビッグスマイルと全体から滲み出ている優しい雰囲気。まさにHe is the real gentleman. 握手をして僕の手を握る大きな手はとても力強いものだった。
 あさってから待ちに待ったアジアン・パラダイスの上映会が名古屋、京都で開催される。今年は映画が制作されてから25年という節目の年だ。WOWOWのドキュメンタリー番組、「クエスト〜探求者たち〜」で、“25年後のアジアン・パラダイス”をテーマに石井さんの特集番組をやる、という話を初めて聞いたのは去年の暮れだった。その間石井さんとディレクターの木村さんとのやり取りを見てきた。この上映会は今回の企画の中でもメインイベントだ。

 東浪見では、流れる雲の合間から欠けた太陽が少しだけ顔をのぞかせた。来日が偶然にこの日になったとはいえ、これは吉兆に違いない


- 1 -


TOP

2、Looking Back History



 25年は長い。その頃現役サーファーだった先輩達は還暦を迎える方も多い。その25年という長い歳月の間にアジアン・パラダイスは忘れ去られてしまったのだろうか。僕の世代やそれより若い世代のサーファーに聞くと、知らない者が多いし、見たことのない者がほとんどだ。
 日本、いや世界中で今、経済が不況に陥っているが、サーフィンの業界にも冷たい風が吹きすさんでいるように感じる。このマンネリを打破するには、何かを為さねばならない。何か違うこと、今までやっていないsomething differentが求められているのではないだろうか。そのために何が出来るだろうか。
 温故知新。故(ふる)きを訪ねて新しきを知る。ここで一度立ち止まって、足跡を振り返り、どこに行き詰まりの原因があるのか、それを見つけ出してそこに戻ることが必要だ。そしてその間違った地点から違う道を再出発しなければならない。歴史を知ることから未来が始まっていく。それが一番の近道だ。今回のツアーはそのきっかけになる可能性を十分に秘めている。
 今までやってきたことから何か新しいことを始めるためには、一度ゼロに戻らなければできない。今まで作り上げてきたサイクルを抜け出し、新しいサイクルを作り出す。ゼロからの出発。新しく生まれ変わるということ。
 輪廻という思想があるが、それに似ていると思う。“死”というものを通して一度すべてをリセットしなければ次の新しい“生”はない。生まれ変わるには一度死ななければいけない。今までの悪循環から抜け出すには、いままで築き上げてきたものをすべて手放し一度死ぬ必要がある。これが難しい。しかし、この執着を捨てない限りは、新しいサイクルには移行することはできないだろう。それは大きな苦しみを伴うかもしれない。だが、そこを乗り越えたところに新しい境地が待っている。



25年振りのアジアンパラダイスツアー。
当時はこのバンで全国を行脚した。
PHOTO:ASIAN PARADISE
 24日8:00、迎えの車がGREEN ROOFに来て、アジアン・パラダイスのDVDやSURFING CLASSIC“SC”のバックナンバーなどを積み込み名古屋に向けて出発した。都内に入ると豪雨になり、車内は雨がガラスをたたく音で満ちている。その音が子守唄のようになり、ふと目が覚めると雨は止んで静岡に入っていた。
 「ホントに面白いよな。今気づいたらバスに乗せられて名古屋に向かってる。何でこうなってるんだ? おもしろいねぇ〜。俺は何にもしていないのにだよ。」
 石井さんは突然思いもしなかったようなことを言い出すことが多い。その度にびっくりするのだが、ぶっ飛びすぎてて、ついていけないことも多々ある。その意外性、独創性にはいつも驚かされる。そして石井さんが話すことは、実際の経験を通して出てくる言葉なので、重みがあるし説得力がある。
 「俺は今まで何回も転んできた。だけどその度に起き上がってきた。七転び八起きってな。それもただでは起き上がってこない。絶対何かを掴んでる。わら一本でもいい。何かを掴んで起き上がる。その繰り返しだよ。でかいことをやろうと思ったら試練もでかくなる。それをどう乗り越えるか、どんだけ粘れるか、それによって決まる。そしてその結果、今ここにいる。」


- 2 -


TOP

3、Strong Bond


 予定より少し早く会場の「愛知県勤労会館(名古屋つるまいプラザ)」に着いた。そこでは名古屋での上映会のオーガナイザーであるBali Highの武藤氏が笑顔で迎えてくださった。今回の名古屋での上映会は、武藤氏の尽力無くして実現することはなかったに違いない。それは武藤氏のBali Highのブログを見ればわかる。ひとえに武藤氏の情熱と熱意がこの上映会を成功に導いたのだと思う。
 ディレクターの木村さんが、石井さんから「名古屋にこういう人がいるから連絡するといい。」と言って渡されたのが、武藤氏の電話番号だった。電話をすると、即答で「ハイ、やりましょう!」と返事が返ってきたらしい。木村さんもあまりにあっさりことが運んで拍子抜けしてしまった。後で武藤氏とその話になった時、実はあの時ビーチで人が流されて、その人を救助している真っ最中だった、とのこと。
 そんな状況で、武藤氏もいきなりアジアン・パラダイスの話が舞い込んできて驚かれたに違いない。それでもその場で二つ返事で快諾されたということからも、武藤氏がアジアン・パラダイスにかける情熱の熱さが伝わってくる。武藤氏は25年前も名古屋での上映会をオーガナイズされたらしい。そして石井さんとはそれ以来25年振りの再会となった。

 その間会うことはなくとも強い絆で結ばれている。これがどういうことか、それは僕には想像しかできない。なぜならそれが分かるようになるには、僕が今から25年というものを経験してみなければ、知ることはできないからだ。しかし、すぐに打ち解けて笑っている二人を見ていると、本当にそんなに時間が経っているのかと思わされた。そのような強い絆というものは、25年という時間を一瞬のものとしてしまうのかもしれない。  3人が揃って会うのが25年振りとはまったく思えなかった。心のつながりは時空を超える


- 3 -


TOP
4、Forbidden Fruit


 会場には1時間前からチラホラと人が集まり始めた。Dickさんは、おおきなスーツケースの中に当時の“STORM RIDERS”と“ASIAN PARADISE”の海外版オリジナルポスターやMP(Michael Peterson)のサイン入りの写真など、世界にそれしか現存していない貴重なもの、他にも日本で発売されていないDVDなどをたくさん持ってきていた。
 「SCのバックナンバーはとても価値のあるものだ。世界にここにしかない。まだ日本のサーファーはその価値に気付いていない。まだ早すぎる。でも、アメリカ、ハワイでは人々は昔のボードや雑誌、ポスターとかの価値に気付いている。ハワイでのオークションはとても盛り上がっているんだ。」と、日本に来る直前までHAWAIIAN ISLANDS VINTAGE SURF AUCTIONのためハワイに滞在していたDickさんは教えてくれた。といって焦ることでもない。どのみち遅かれ早かれみんな気付いていくだろう。
 早めに会場に来た人達は、Dickさんの写真や、テーブルの上に並べられた当時のオリジナルパンフレットやSCのバックナンバーを手に取り、皆さん興奮気味だ。中には当時のチケットを大切に持っている人やオリジナルTシャツを着ている人もいて、アジアン・パラダイスが当時のサーファーにとって、忘れられない映画であったことを伺い知ることができた。
 しかし、若いサーファーの姿はあまり見えない。武藤氏が「残念ですが、若い世代のサーファーはアジアン・パラダイスのことをあまり知らないんですね。ですから今日来るのはほとんど40〜50代、年金サーファーたちです。」と言っていたのを思い出した。25年も経てばそれは当たり前なのかもしれない。
  会場には150名近いサーファーが集まり、25年振りに上映される“STORM RIDERS”と“ASIAN PARADISE”を楽しんだ。中には上映開始時間ギリギリに息を切らしながら滑り込んできたサーファーもいて、見に来た人達の熱気に場内は包み込まれていた。


 SCは、当時のサーファーにはバイブルだった。発売日には朝から本屋に並び、夜は徹夜で何度も読み返したという。
 石井さんとDickさんの対談も行われ、当時の様子や、アジアン・パラダイスを作るに至った経緯や裏話などで盛り上がった。そして最後に残したメッセージは、本気で波乗りに打ち込んできた石井さんだから言えるものだった。
「サーフィンは禁じられた遊びです。武藤さんも私も60です。それでも波に乗っていこうというエネルギーがあるということは、やっぱり禁じられた遊びのおかげです。サーフィンというものの喜び。これが他の何ものにも代え難いものがあると思うんですね。我々は何のために生まれてきたのか、死んでいったらどうなるのか、というようなことを考えながらサーフィンしてると、段々その答が見つかって来るわけです。そしたら、禁じられた遊びでも、もうちょっとやってみようか、その先にまた何かある。非常にシークレットなものです。そしてそれが私たちの人生にとって、とても大事なものです。」
 


- 4 -


TOP
5、Miraculous Reunion


  一日の移動日を入れて次の目的地、京都へと向かう。京都ではPRO BIG WAVERの青山弘一氏がプロになられて38周年記念パーティーと合わせての開催だ。
 青山氏は、海のない京都という都会に居を構えているが、ハワイのワイメアの20feet の大波に56歳になられた今でもチャージする、現役のハードコアな Big Wave Rider だ。水泳でも、今年2009年、自己の日本記録を更新された。30年間ハワイに通い続け、冬のワイメアに照準を合わせ、血のにじむような修行を自分に課し日々精進されている。

 「アジアン・パラダイス」に出演した事が、波乗りに対するハングリーなココロをもっとも動かしたという。当時から今日まで30年間毎冬ハワイに通い続け、波乗り道を追求している。[ PHOTO : ASIAN PARADISE ]  1984年には、アジアン・パラダイスに出演し、石井さんと当時のトッププロたちとスパイスアイランドに行かれている。そのことを青山氏は「この映画に出演できたことが、僕のこれからのプロサーファーとしての生き方を大きく変えて行く出来事になった。この映画の中で他のプロサーファーを見ていたら、自分にももっと出来る「何か」があるのではないだろうか?と考えさせてくれた貴重な旅であったと思う。それほどまでに、僕のサーファーとしての夢や方向性を導いてくれたのは石井さんである。誠に有難うございます。こんな機会を与えてくださって・・・。」と、当日来場者に配られた、Special Text Works の中で書かれている。そしてこの熱い思いが25年振りの京都での上映会を実現させたのだと思う。
 京都での上映会は事前に公表されることなく、青山氏の完全招待制で行われた。石井さん、Dickさん、そして青山氏という三人のリビング・レジェンドが四半世紀振りに巡り会うという得難い瞬間をシェアすることは、青山氏と直接縁のある者のみに許された特権となった。Dickさんが日本に来ること事体、25年振りだ。 

 アジアン・パラダイスの後、石井さんは、突然表舞台から姿を消し、離島に籠って、波乗り修行に徹するため自給自足の生活を始めた。「SC」は当時2〜3万人の固定読者を持っていたにもかかわらず、それを突然、それも次号の予告が出ているのにやめてしまった。普通そんなことやるか?と思わざるをえない。このことを考えると、もし自分だったら同じことができるだろうか?と思う。そのまま雑誌を続けていれば、一生の生活は保証されていたはずだ。何のためにそれを手放す必要があったのか?


PHOTO : Hiroyuki Houchi
電気と井戸水だけで、ガスは無く、冬は暖房も無い生活。
自家菜園で採れるわずかな野菜と、地元の人からの差し入れで食をつなぐ。
車も持たず、片道1時間かけて、
崖の上の波浪庵とサーフポイントを徒歩で毎日往復する。

 そのことについて、先ほどのSpecial Text Works の中で、青山氏はこう結んでいる。

波乗りとは合気道のように争うものではなく、自分のために修業するものであり、自分自身との戦いでもある。

波に打ち勝つようなものでもなく、ましてや他人に勝つためのものでもない。

自然の大きさに飲み込まれないように毎日日頃からの精進が大切である。

今の日本の波乗りは違う方向に進みつつあり、今の政治と同じように波乗りの業界のものが自分の欲のために進んでいると思う。

石井さんは、20数年前の当時からその波乗り業界のスポンサーの方向性と編集者の方向性の食い違いに嫌気がさして、雑誌編集の世界から波乗りの実践を行う世界に行かれたように思う。

今、残念でならないのは、石井さんのような方向性のある雑誌が今でもあれば、もっと素晴しい形としての日本の「波乗り道」が発展していたかもしれないということだ。


 しかし、かく言う青山氏ご自身も、波乗りの実践の世界に身を置き、並々ならぬ波乗り修行を日々精進して来られている。四国の海の目の前にサーフボード・ファクトリーを建て京都から通い、そしてご自身で削った板でワイメアの波に乗る。さらに、水泳で身体を鍛え冬のワイメアのビッグウェーブに備える。多いときは一日に6時間も泳ぐという。気合いの入り方が半端じゃない。つい最近の大会でも、日本新記録を更新された。


このドロップがすべてを物語っている。
Just GO FOR IT!! 乗っている時は、すべてがスローモーションのように見えると言う。 この瞬間のために、並々ならぬ修行を日々精進されている。
まさにREAL SOUL SURFER だ。。

 そしてDickさんも世界中を飛び回り、サーフィンの写真と映像を撮り続けてきた。1977年に「チューブラー・スウェルズ」、その後2年を費やし「ストーム・ライダーズ」を制作。アジアン・パラダイスでは撮影監督として、石井さんと一緒にインドネシアを飛び回った。その後もサーフィンの写真と映像を撮り続けている。2002年には英国女王陛下からサーフィン・フィルム貢献賞を受賞している。今回も、ハワイからこのツアーのために来日し、一旦ハワイに戻り、オーストラリアに帰ってからすぐインドネシアに飛んだ。60歳とは思えないくらいフットワークが軽い。


ASIAN PARADISE の中で、全体を通じて伝わってくるメッセージは、
まさにThis is what a surfing adventure is all about」!!
25年経った今、Dickさんの口から何度となく繰り返し出てきた言葉は、
「Adventure continues…」だった。

 その三人が、日本の文化のルーツである京都というスペシャルな場所で、25年を経た今日、顔を揃えるということは、まさに「奇跡」としか言い様がない。

- 5 -


TOP
6、五条楽園歌舞練場


 京都に着き、早速会場を下見に行くことにした。国道から一本中に入った細い路地は、昭和の面影を残していて、何か懐かしい気持ちにさせてくれる。しばらく路地の中をさまよっていると、ようやく会場らしき建物が見えてきた。僕たちのいる細い路地にはお茶屋が立ち並び情緒あふれる雰囲気をかもしだしている。かと思えば、すぐ真裏には広い国道が走り、横には背の高い鉄筋コンクリートのマンションが建っていて、上から僕たちを見下ろしている。そのコントラストに少し戸惑いを感じてしまう。会場は古い木造の建物でその周りだけ時間が止まっているかのような錯覚にとらわれてしまう。

 京の花街、五条楽園。そこに会場である五条楽園歌舞練場はある。大正4年に建てられ、100年以上の歴史がある場所だ。舞妓さんたちが練習に使っていた場所で、その中に入ると時間は止まり、当時の三味線の音や、舞妓さんたちが踊る息づかいが今にも聞こえてきそうだ。このような由緒ある場で行えることが信じられない半面、明日のことを思うと胸が踊り、まだ明日は来ていないのに、その場にいれるという事実に胸が躍る。
 3階建てのその建物は、2階が畳の座敷になっており、150人位が入る広さがある。天井にはプロペラのファンが回っていて涼しい風を送っている。正面の板張りの舞台は一段高く、部屋の両サイドには赤提灯がぶら下がっていて、その下には青山氏のサーフボードが並べられている。その部屋の中にいると、周りの世界があまりにも現実離れしていて、まるでタイムスリップしたような、それが夢なのか、はたして現実なのか、分からなくなりそうになる。

  

 急な階段を上がり3階に行くと、青爺BARと筆で書かれた半紙が貼ってあり、お酒が飲めるチリアウトラウンジだ。大きなモニターがあり、ここでは床に座ってお酒を飲みながら映画を鑑賞できるように工夫がされている。
 準備のため早めに会場に着くと、プロデューサーのROCKET宮本氏は音響の調整をしていた。元気のある関西弁で挨拶すると、お互いすぐに打ち解け、この人に任せておけば大丈夫だ、と安心した。ここでの開催にあたり骨身を削って準備をしてこられた。ミヤモト氏がいなければ、この素晴しい会場での上映会は実現し得なかったに違いない。
 Dickさんも、会場がこんなにも素晴らしい場所だとは予想だにしていなかった様子で、「unbelievable!!」を連発していた。本人自ら音響やスクリーンの位置を調整して、まるでスタッフのように働いていた。

 それも気の使い方が半端じゃない。会場にいるすべての人がちゃんと見れるように、部屋の隅々まで歩き回ってスクリーンの高さを調整したり、音響もお客さんが快適に聞こえる音が出ているか、座布団の数は足りるのか、、、こと細かにチェックしている。
 名古屋では、遅れてきた人が後ろで立っていると、「来てくれたみんなに快適に見て欲しい。」と言って、わざわざ前まで椅子を取りに行って、その人のところに持って行く。石井さんが言うように、Dickさんは博愛主義者だ。

 何をするにしても自分を後回しにする。サインを求められれば何かをしていても手を止めて、笑顔でサインとともに握手をする。どこかに食事に行っても、選ぶ時に食事代を出す人に、これは高くないか?と必ず聞いてくる。一緒にいると、その腰の低さは、作為を持ってそうしているのではなく、ごく自然体でそう振る舞っているのが分かる。

 こんなに謙虚な人が他にいるだろうか。巨匠と言われる人がここまで謙虚にしているのを見て、心が洗われる思いがした。もし自分がDickさんと同じ立場だったら、はたして同じように振る舞えるだろうか?僕だったら間違いなく天狗になっているに違いない。Dickさんが自分の目の前で実際にそうしている姿は、謙虚でいるということの美しさを教えてくれた。
  Dickさんらしいエピソードがもう一つある。当日の午前中、京都の町並みを撮影するためにDickさんも一緒に祇園に出向いた。高台から正面には京都の街が、背中には山の中にたたずむ大きな観音様が立っている。その日本ならではのコントラストにしばらく見入っていたDickさんは、街を見ながら「どれだけの人がこの狭いエリアに住んでいるんだろう。」と言い、山のお寺を振り返り、「お坊さんたちは賢い。彼らは静かでピースフルなところに住んでいる。」と言った。

  

- 6 -


TOP

7、Beyond words

 上映会は言うまでもなく、大盛り上がり。開場と同時に大勢のサーファーたちが押しかけ、2階の畳の大広間はもちろん、3階の“青爺BAR”も詰めかけた大勢の人達で埋めつくされていく。


 上映会は、石井さん、青山氏、Dickさんの座談会で始まった。3人のレジェンドは拍手喝采でステージに迎え入れられると、聴衆は映画の裏話や、石井さん、青山氏の波乗りに対する姿勢を真剣なまなざしで傾聴している。かと思えば、ギャグが飛び交い、会場は一瞬のうちに大爆笑の渦の中に巻き込まれていく。
 夏真っ盛りの京都。会場は熱さと集まった人たちの熱気で満ちあふれ、天井で回っているファンは、あまり意味をなさずただ熱い空気をかき混ぜているだけだ。全員が入口で配られた特製うちわを片手に、ステージに見入っている。熱さなんて全然気にならない。運良くもこの3人のリビング・レジェンドたちが、京都で邂逅するという奇跡のような瞬間に居合わせていることを、誰もが心の底から楽しんでいる。さらに、五条楽園歌舞練場という艶のある雰囲気がそれに拍車をかけて、集まった人たちを異次元の世界へといざなっていく。

  

 青山氏が繰り返し言うように、会場全体が大きな一つの流れとなって、一つになっているのを誰もが感じただろう。そしてその中にいること、自分がそれにとけ込んでいる一部分としてその場に存在していることは、とてもspecial experience だ。
  石井さん、青山氏、そしてDickさんと、今日この場所で一緒に居合わせたことが、どれだけ貴重な瞬間であるかを思い、目を閉じると、自分の今までの過去がマブタの裏で駆け巡り、ジーンと熱くなるものが胸に込み上げてくる。生きているということは、一瞬一瞬が奇跡の連続だ。
 あっという間に座談会は終わり、ASIAN PARADISE の上映が始まった。集まった人たちは食い入るようにスクリーンに見入っている。初めて観る人もいるだろうし、25年振りに見る人もいるだろう。会場はタイムスリップして、25年前の興奮の渦の中へと巻き込まれていく。

 青爺BARでビールをゲットして2階に戻ると、会場の後ろの方に座って映画に見入っているDickさんを見つけた。隣に座るとニコッと笑って、僕のためにスペースを作ってくれた。Dickさんは少し遠くを見るような感じでスクリーンを見つめ、何か感慨深げな感じだ。当時のことを思い出しているのだろうか。



 そこで、自分が作った映画を25年経ってこのように上映するのは、どういう気持ちなのか聞くと、「Life is GOOD!! Unbelievable!!」と本当に感動している様子だ。そうだよなぁ、25年振りに日本に来て、こんな素晴しい場所で、自分が撮影した映画を上映している。それも会場は超満員だもんなぁ、、、

 と思っていると、少し間を置いて「I did nothing....Hideaki did...」と何かうなずくように言った。これを聞いて、石井さんとDickさんの仲が本当に強い絆で結ばれているということが、僕の中で明白になった。Dickさんは、ヒデアキサンのビジョンが無かったら、この映画は実現し得なかったと言っている。
 石井さん、Dickさんの二人を見ていて、とても印象に残っていることは、二人の間にはあまり会話がないのだけれど、息がぴったりと合っている、ということ。石井さんは話すのが好きな人だ。久しぶりに会うと、いつも夜中まで話すことになる。それも話が面白い。Dickさんも、一度話し出したらもう止まらない、というようなことがよくある。その二人が一緒にいても、あまり言葉を交わさない、というのは意外だった。
 かといって、そんなに仲がよくないのかというと、とんでもない。石井さんが次に何をするか、Dickさんが何をしたいのか、言葉なくして相手の思っていることが分かっている。これぞ心と心の会話だ。阿吽の呼吸というのはこのことを言うのだろう。



 深い友情には、言葉の違いなんて関係ない。相手のことが分かりきっているなら、ただお互いがそこにいるだけで、特に会話する必要はない。通じてしまう。それは僕にとって、初めてみるコミュニケーションの仕方だったし、余計な言葉がない方が逆に相手にちゃんと伝わる、ということを教えてくれた。この映画は、二人の強い友情の絆があってこそ実現したのだろう。


- 7 -


TOP

8、一生にあらず二生三生なり

 昨夜、大盛況のうちに上映会が終わり、僕たちが最後に会場を出ると同時に、まるで何かがせき止めていたかのような土砂降りの雨が降り出した。それはただの偶然とは思えないタイミングだった。天もがこの25年振りの三人の邂逅を味方してくれていたのだろう。ツアー最終日の今日は、今回のツアーで本当に楽しみにしていたことの一つ、お寺での座禅会がある。朝起きると、昨夜の土砂降りの雨は小雨になり、そのかわり蒸し暑さがジトジトと襲ってくる。でもまたその何もしていなくても、ただじっとしているだけでじわっと汗をかいてくる感じが、いかにも夏らしくて気持ちがいい。
 波乗りと坐禅。何の関係もなさそうに思えるかもしれないけど、実は波乗りは瞑想的なアクティビティーだと僕は思っている。石井さんは、波乗りを坐禅の精神に当てはめて実践している、ハードコア・サーファーだ。世界中探しても、あそこまで情熱を持って、命をかけて波乗りしているサーファーはそうそう見つからないだろう。それはただ上手いとか下手だとかの見た目がどうのという次元ではなく、もっと精神的な高次元での、精神修養としての波乗りの実践だ。

 建仁寺塔頭西来院。道元禅師と縁の深いこのお寺で、坐禅を組めるというのは、なんと感慨深いものがあるだろう。石井さんと道元禅師との縁を考えると、そこには偶然にしては出来すぎたストーリーがいくつもある。それは、また別の機会に譲ることにして、僕は石井さんは本当に道元禅師の生まれ変わりなんだろう、と密かに思っている。その道元禅師が、1214年、師を求め門を叩いたのが、この建仁寺だ。今から796年前の出来事だ。 ドキドキしながら門をくぐると、とたんに場の空気が変わった。目の前には綺麗に整えられた庭園が広がっている。京都の庭師は、石に生えている苔をピンセットを使って整えていく、と聞いたことがある。庭を心に当てはめて考えてみれば、それはまさに瞑想だ。座って目を閉じて、自分の心の雑念を取り除いて、心の隅々にまで意識を行渡らせるかのように、庭の隅々にまで繊細に気を配り雑草を抜いて、庭を造っていく。そのようにして造られた庭園を目の前に、その場の空気に身を委ねていると、自分の心もピシッと引き締まる。

 その静寂の中、聞こえてくるのは、蝉の鳴き声と、鳥の鳴き声。そして、その音に包まれて、住職の和尚さんの柔らかな声が、耳に届いてくる。ゆっくりと、間を取りながら話すゆったりとした含みのある声が、静かな境内の隅々に染みわたっていく。時間の感覚はなくなり、空間さえも他の世界に飛び込んだような感覚にとらわれてしまう。

 Dickさん、石井さん、青山さんのレジェンド達は、その場の空気にスーッと溶け込み、和尚さまの話に耳を傾けている。カメラマンの芳地さんは、まるで忍者のように音を立てずにアッチからコッチへ、気付いたら後ろへと移動して、虎視眈々とシャッターチャンスを狙っている。シャーターを押すたびにその音が境内に響くのだが、不思議なことに、その音も心地よい一つの音として耳に入ってくる。ここでは、在るものすべて一つ一つ、空気や音、物質や僕たちの心までもが、全体を構成しているものの一つとして存在していて、それらは融合して一つの和となっているように感じる。すべては一つとよく言うが、まさにそれを実感できる瞬間だった。


 和尚さまの優しい声にいざなわれ、僕たちは坐って目を瞑り、「数息観」という自分の呼吸の数を数えていく、という瞑想に入っていった。自分の呼吸の音、一瞬たりとも止むことなく境内全体にゆき渡る蝉の鳴き声、鳥のさえずる声は歌声のようにアクセントとなって、全部が混ざりあってまるでオーケストラを聞いているようだ。突然、ピシャ!ピシャ!と鋭い音が境内に響き渡った。警策の音だ。和尚さまと石井さんがお互いに合掌している。その二人の姿はとても神聖なものだった。
  

 和尚さまは「坐禅は自然と一枚岩になることです。」と仰った。そしてサーフィンのことを「波と一緒に花が咲く。波と握手して一体となる。」と続けられた。石井さんが和尚さまとの話の中で、道元禅師が書いた正法眼蔵の中に、「坐禅は一生にあらず。二生三生なり。」という言葉があり、それに出会った時に私自身すごく感銘を受けた。この先10年、20年サーフィンをやっても、一生ではサーフィンというものを究めつくすことはできないだろうと思う。そのときに「二生三生なり」ということば聞いて、坐禅というものを、波乗りに置き換えて考えてみれば、波乗りも二生三生やらなければいけないと、私自身結びついてきた。そこで、坐禅の精神とサーフィンの精神というものは、自然と一枚になるという意味で同じと考えてよろしいでしょうか。と問うと、和尚さまは「もちろん、よろしいと思いますよ。天地一枚にならなければ、あの波乗りはできないと思いますよ。」と優しい声で答えられた。
 石井さん、Dickさん、そして青山さんという三人のリビング・レジェンド達と、京都のお寺で一緒に時間を共有できたということは、忘れられない一生の思い出になるだろう。最後に和尚さんが仰ったように、このような素晴しいご縁に感謝の気持ちでいっぱいになった。
 今振り返ると、この25年振りのAsian Paradise Tour に参加できたことは、未だに信じがたくて、本当は夢だったんじゃないかと思ってしまう。今でも目を閉じると、言葉少なに肩を並べる石井さんとDickさんの二人の背中、そしてその二人から発せられているエネルギーが一つに溶け合って、大きなオーラとなって溢れ出ている姿が、まぶたの裏に焼き付いている。
 伝説の映画『ASIAN PARADISE』 から25年。石井さんは、波乗陀仏になって帰ってきた。「波乗りは一生かけても究めることはできない、、、」。自然と一枚になって波乗りする波乗陀仏は、今日も八丈島の楽園で自由自在に波に乗っていることだろう。

- 8 -


TOP