2、Looking
Back History
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3、Strong
Bond
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4、Forbidden
Fruit
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5、Miraculous
Reunion
アジアン・パラダイスの後、石井さんは、突然表舞台から姿を消し、離島に籠って、波乗り修行に徹するため自給自足の生活を始めた。「SC」は当時2〜3万人の固定読者を持っていたにもかかわらず、それを突然、それも次号の予告が出ているのにやめてしまった。普通そんなことやるか?と思わざるをえない。このことを考えると、もし自分だったら同じことができるだろうか?と思う。そのまま雑誌を続けていれば、一生の生活は保証されていたはずだ。何のためにそれを手放す必要があったのか?
そのことについて、先ほどのSpecial Text Works
の中で、青山氏はこう結んでいる。
そしてDickさんも世界中を飛び回り、サーフィンの写真と映像を撮り続けてきた。1977年に「チューブラー・スウェルズ」、その後2年を費やし「ストーム・ライダーズ」を制作。アジアン・パラダイスでは撮影監督として、石井さんと一緒にインドネシアを飛び回った。その後もサーフィンの写真と映像を撮り続けている。2002年には英国女王陛下からサーフィン・フィルム貢献賞を受賞している。今回も、ハワイからこのツアーのために来日し、一旦ハワイに戻り、オーストラリアに帰ってからすぐインドネシアに飛んだ。60歳とは思えないくらいフットワークが軽い。
その三人が、日本の文化のルーツである京都というスペシャルな場所で、25年を経た今日、顔を揃えるということは、まさに「奇跡」としか言い様がない。 - 5 - |
6、五条楽園歌舞練場
![]() 京の花街、五条楽園。そこに会場である五条楽園歌舞練場はある。大正4年に建てられ、100年以上の歴史がある場所だ。舞妓さんたちが練習に使っていた場所で、その中に入ると時間は止まり、当時の三味線の音や、舞妓さんたちが踊る息づかいが今にも聞こえてきそうだ。このような由緒ある場で行えることが信じられない半面、明日のことを思うと胸が踊り、まだ明日は来ていないのに、その場にいれるという事実に胸が躍る。
急な階段を上がり3階に行くと、青爺BARと筆で書かれた半紙が貼ってあり、お酒が飲めるチリアウトラウンジだ。大きなモニターがあり、ここでは床に座ってお酒を飲みながら映画を鑑賞できるように工夫がされている。
何をするにしても自分を後回しにする。サインを求められれば何かをしていても手を止めて、笑顔でサインとともに握手をする。どこかに食事に行っても、選ぶ時に食事代を出す人に、これは高くないか?と必ず聞いてくる。一緒にいると、その腰の低さは、作為を持ってそうしているのではなく、ごく自然体でそう振る舞っているのが分かる。 こんなに謙虚な人が他にいるだろうか。巨匠と言われる人がここまで謙虚にしているのを見て、心が洗われる思いがした。もし自分がDickさんと同じ立場だったら、はたして同じように振る舞えるだろうか?僕だったら間違いなく天狗になっているに違いない。Dickさんが自分の目の前で実際にそうしている姿は、謙虚でいるということの美しさを教えてくれた。
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上映会は言うまでもなく、大盛り上がり。開場と同時に大勢のサーファーたちが押しかけ、2階の畳の大広間はもちろん、3階の“青爺BAR”も詰めかけた大勢の人達で埋めつくされていく。 上映会は、石井さん、青山氏、Dickさんの座談会で始まった。3人のレジェンドは拍手喝采でステージに迎え入れられると、聴衆は映画の裏話や、石井さん、青山氏の波乗りに対する姿勢を真剣なまなざしで傾聴している。かと思えば、ギャグが飛び交い、会場は一瞬のうちに大爆笑の渦の中に巻き込まれていく。
青山氏が繰り返し言うように、会場全体が大きな一つの流れとなって、一つになっているのを誰もが感じただろう。そしてその中にいること、自分がそれにとけ込んでいる一部分としてその場に存在していることは、とてもspecial
experience だ。
深い友情には、言葉の違いなんて関係ない。相手のことが分かりきっているなら、ただお互いがそこにいるだけで、特に会話する必要はない。通じてしまう。それは僕にとって、初めてみるコミュニケーションの仕方だったし、余計な言葉がない方が逆に相手にちゃんと伝わる、ということを教えてくれた。この映画は、二人の強い友情の絆があってこそ実現したのだろう。 |
昨夜、大盛況のうちに上映会が終わり、僕たちが最後に会場を出ると同時に、まるで何かがせき止めていたかのような土砂降りの雨が降り出した。それはただの偶然とは思えないタイミングだった。天もがこの25年振りの三人の邂逅を味方してくれていたのだろう。ツアー最終日の今日は、今回のツアーで本当に楽しみにしていたことの一つ、お寺での座禅会がある。朝起きると、昨夜の土砂降りの雨は小雨になり、そのかわり蒸し暑さがジトジトと襲ってくる。でもまたその何もしていなくても、ただじっとしているだけでじわっと汗をかいてくる感じが、いかにも夏らしくて気持ちがいい。
その静寂の中、聞こえてくるのは、蝉の鳴き声と、鳥の鳴き声。そして、その音に包まれて、住職の和尚さんの柔らかな声が、耳に届いてくる。ゆっくりと、間を取りながら話すゆったりとした含みのある声が、静かな境内の隅々に染みわたっていく。時間の感覚はなくなり、空間さえも他の世界に飛び込んだような感覚にとらわれてしまう。
和尚さまは「坐禅は自然と一枚岩になることです。」と仰った。そしてサーフィンのことを「波と一緒に花が咲く。波と握手して一体となる。」と続けられた。石井さんが和尚さまとの話の中で、道元禅師が書いた正法眼蔵の中に、「坐禅は一生にあらず。二生三生なり。」という言葉があり、それに出会った時に私自身すごく感銘を受けた。この先10年、20年サーフィンをやっても、一生ではサーフィンというものを究めつくすことはできないだろうと思う。そのときに「二生三生なり」ということば聞いて、坐禅というものを、波乗りに置き換えて考えてみれば、波乗りも二生三生やらなければいけないと、私自身結びついてきた。そこで、坐禅の精神とサーフィンの精神というものは、自然と一枚になるという意味で同じと考えてよろしいでしょうか。と問うと、和尚さまは「もちろん、よろしいと思いますよ。天地一枚にならなければ、あの波乗りはできないと思いますよ。」と優しい声で答えられた。 - 8 - |